カウンセリングから学んだこと
皆様おはようございます、こんにちは、こんばんは
初の投稿になります。
私はもともとカウンセラーという仕事に憧れていました。
会話によって人の心を癒す、悩みを解決する、という行為が極めて
人間的な行為だと思い、そこに魅力を感じたのです。
実際は、心理学を大学で学ぶことができず、一般的に言う「カウンセラー」
にはなれなかったのですが、私が昔どんな人でもとれる簡単なカウンセラーの
取得のために勉強したことについて今回は話したいと思います。
私が取得したのは、主に精神疾患になった方やなりそうな方をカウンセリング
することを目的とした資格でした。
カウンセリングの仕方や疾患別の薬のことなど、勉強はしたのですが、今は
ほとんど忘れてしまいました。
しかし、一つだけ今でも鮮明に覚えており、今もなお愚痴聞きをする際に
心がけているモノがあります。
それは「同意するのではなく共感する」という考えです。
同意と共感がどう違うのかそれは、いろいろな解釈があるようなので
あくまでも私の解釈について書かせていただきます。
「同意」とは自分が相手の立場に立った時に同じよう考える(感じる)こと。
「共感」とは相手が相手の立場に立っているときにそのように考える(感じる)こと
を認めること。だと思います。
極端な例えになりますが自分がA、相手がBだとすると。
同意:B「このカレー辛い!」A「うわっ、確かにこのカレー辛いね!」
共感:B「このカレー辛い!」A「Bは辛いの苦手だから、Bには辛いだろうね。」
となります。(なんだか文面ですと、共感の反応は冷たいように見えてしまいますが)
次になぜ同意ではなくて共感が必要なのかですが、これもたくさんの考えがあります。
私が勉強したテキストには、同意をしてしまうと、相手に不快感を与えたり、相手を間違った方向に導いてしまうことがあるからだと書いてありました。
B「~なことがあって悲しかった」A「うわーそれは悲しかったね」B「Aに私の悲しさなんてわかるわけない!怒」
B「仕事が忙しすぎて、ストレス解消に酒を飲みすぎてしまいました」A「仕事で忙しい時くらい、プライベートでハメを外してもいいですよ」B「仕事が落ち着くまではプライベートでは自分を少し甘やかしてもいいですよね」
といった例がテキストにはありました。
ですが、私としてはこの説明はあまりしっくりきていません。
私が共感を必要だと考えるのは、受け入れられる幅を広げるためです。
私は同意には限界があると思います。
たとえば私は男なので、女性特有の大変さに同意することはできません。
また、私は10代ではないので、10代特有の大変さに同意することはできません。
このように、同意するには相手と似たような立場である必要があります。
しかし共感には私がどういう立場であるかなど関係ありません。
「同意するのではなく共感する」という言葉をこのように解釈するようになってから
私は人の愚痴を聞ける幅や受け止められる悲しみの幅がかなり広くなったように
思います。
実際に、よく人の悩みや愚痴を聞く方や、周りに心の支えを必要としている人がいるけどどうやって接したらよいか迷っている方がこの雑記を読んでくださっていたら、少し参考にしてもらえればなと思います。意外とこの心がけだけで、自分の話の聞き方や反応の仕方が変わるかもしれませんよ。
こんなことを書いている私も過去に、精神薬無しでは仕事ができないことになり、転職したことがあるのですが、またそのことについても書かせて頂けたらと思います。
今回は初投稿だったので、長くなりましたが、以上になります。
最後まで読んでくださった方々、誠にありがとうございました。
自己紹介
はじめまして
このたびブログを始めることにいたしました、たこよしです。
学生時代は長期休暇になれば、青春18切符を持って、寝袋を背負い
国内いろいろな場所に旅に出ました。
旅先で何をやっていたかと言うと、愚痴聞きです。
日本各地で「無料で愚痴聞きます」という看板を持ち、数多くの愚痴を聞きました。
もともとカウンセラーになりたかった私は、色々な事情があり、心理学を学べる大学に
行くことができず、それでもあきらめきれない気持ちが愚痴聞きを始めるきっかけに
なったのかと今は思います。
今は普通の会社員として、勤務していますが
心理学、そして人の悩みや苦しみとまた接して見たいと思いブログを始めました。
心理学の話、メンタルケアの話等をしていければと思います。
よろしくお願いいたします。